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両国 両国(りょうごく) 律令制に基づいて設定された地方行政区分である令制国の境界地域のこと。 1に基づいた付けられた地名の事。 2に基づいて付けられた四股名。何人かいる。両國梶之助、両国梶之助を参照。 現在でも以下の地域に両国の名称が残る 下総国と上総国の国境 千葉県富里市 同横芝光町 下総国と武蔵国の国境 東京都墨田区→両国 (墨田区)を参照の事。 これらの境界には河川や分水嶺などの自然境界を用いる事が多かったので、橋の名前(両国橋)として名前が残っている事も多い。詳しくは両国橋を参照の事。 両国国技館の略。 両国高校 『東京都立両国高等学校・附属中学校』より : 東京都立両国高等学校・附属中学校(とうきょうとりつりょうごくこうとうがっこう・ふぞくちゅうがっこう)は東京都墨田区江東橋にある公立学校 都立中学校・高等学校。中高一貫教育 中高一貫制。 府立三中を前身とする都立進学校。通称は「両高」。2006年度より高校募集と同時に3クラス分(男女計120名)の中学校クラスが誕生し、高等学校併設中学校(中高一貫校)として移行した。主に文科系に特化されると云う。2006年6月18日、高校OB・OGで構成されるオーケストラ(淡交フィルハーモニー管弦楽団)による「中高一貫記念コンサート」がサントリーホールにて開催された。 制服のボタンは未だに三高という文字のボタンを使用してるので、どこの学校かわかりにくい。また、男子の制服はボタンではなくホックで前をとめる制服があり、生徒にはこちらの人気が高い。附属中でもボタンはなくプラスチック製のホック、襟に「両国」という文字の校章を付けることになった。 両国駅 両国駅(りょうごくえき)は、東京都墨田区横網一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京都交通局(都営地下鉄)の鉄道駅 駅。都営地下鉄の駅には駅番号(E-12)と副駅名(「江戸東京博物館前」)が付けられている。 東日本旅客鉄道 中央・総武緩行線 中央・総武線(各駅停車) 東京都交通局 都営地下鉄大江戸線 JRの駅は東西に出口がある(階段の位置はホームの両端ではなくやや中央寄り)。各駅停車のプラットホーム 島式ホームの北側には、ターミナル駅の面影を残す駅舎とホームが残されている。現在では、この趣のある旧駅舎コンコースを利用した飲食店が営業中。なお、JR両国駅(東口)と都営地下鉄大江戸線の両国駅の乗り換えには5分~10分程かかる。また西口改札入ってすぐのところにはタイルの色が違う所があり、よく見ると土俵が描かれていることがわかる。 両国国技館 両国国技館(りょうごくこくぎかん)は、東京都墨田区横網(よこあみ)にある大相撲の興行のための施設。また、ボクシング、プロレスなどの格闘技の興行が行われることもある。番付には旧字体で國技館と表記している。旧国技館には大鉄傘(だいてっさん)の通称があった。 先代の両国国技館は現在の国技館とは異なり、京葉道路沿いの本所回向院の境内にあった。1906年(明治39年)6月着工、3年後の1909年(明治42年)5月に竣工し、6月2日に開館式が行われ、6月場所より使用された。設計は日本銀行 日本銀行本店や東京駅、浜寺公園駅の設計者として知られる辰野金吾と葛西万司で、大鉄傘の愛称は当時のデザインに由来する。工事費用は27万円。命名は命名委員会(会長:板垣退助)によるが、作家の江見水蔭が執筆した開館式の披露文(相撲節により相撲は国技であるという内容)にヒントを得て、当時年寄であった尾車(元:大関の大戸平)が提案したものである。その後、大正時代に火災で1回、関東大震災でもう一度、焼失し、そのたびに再建された。その間、靖国神社境内や、名古屋市で本場所が行われたことがある。 両国 (墨田区) 東京都墨田区における両国(りょうごく)とは、東京都墨田区の町名。北は総武本線 総武線を隔てて墨田区横網に、南は堅川と高架上の首都高速道路7号小松川線 首都高速小松川線を隔てて墨田区千歳に、西は隅田川を隔てて中央区 (東京都) 中央区東日本橋、および台東区柳橋 (東京都) 柳橋に、東は東京都道463号上野月島線 清澄通りと地下の都営地下鉄大江戸線を隔てて墨田区緑に接する。町内を国道14号(京葉道路・千葉街道)が通っている。また、元来は両国橋周辺の称。 江戸時代の万治 万治2年(17世紀 1659年)12月13日、両国橋が架橋された。両国橋東岸の地域、現在の両国は神田 (千代田区) 神田、日本橋 (東京都) 日本橋方面と直接結ばれ、以後江戸が隅田川をはさんで東側に拡大する足がかりとなった。現在の両国を含む北側が本所 (墨田区) 本所、両国よりも南側が深川 (江東区) 深川であり、双方とも江戸時代の新興住宅地域にあたる。なお、1686年(貞享 貞享3年)また一説によれば寛永 寛永年間(1622年-1643年)の葛飾郡 南葛飾郡の武蔵国への編入までは隅田川が下総国と武蔵国の国境であり、両国橋は下総国と武蔵国にまたがっていた。 両国橋 両国橋(りょうごくばし)は橋の一つで、主に律令制に基づいて設置された日本の地方行政区分の令制国 国境にある橋の名称の一つである。似たような例は「国界橋」(こっかいばし)等がある。 :ここでは以下の橋について述べる。 :#隅田川に架けられた旧武蔵国・下総国国境の橋 :#道志川に架けられた旧相模国・甲斐国国境の橋 :#小瀬川に架けられた旧安芸国・周防国国境の橋 両国橋(りょうごくばし)は隅田川にかかる橋で、国道14号を通す。西岸の東京都中央区 (東京都) 中央区東日本橋二丁目と東岸の墨田区両国 (墨田区) 両国一丁目を結ぶ。橋のすぐ近くには神田川と隅田川の合流点がある。 両国予備校 両国予備校(りょうごくよびこう)は、東京都と大阪府にあった予備校。1975年開校。2005年2月8日に経営難を理由に閉校した。CMでの「医歯薬理工系、文系学部受験の名門」という言葉が有名である。 受験生の間では、強力な監督体制で自由が無いため“牢獄予備校”と揶揄されていた。 医歯薬系に力を入れ全寮制・峻厳な規則のスパルタ式で有名。校則には「将来立派な医療人、立派な社会人になることを決意し、あらゆる艱難辛苦に耐えて受験勉強に励む者以外は、両国予備校に入学してはならない」という有名な一節があった。また、通学生でも入学できた。校長の高畠金蔵はエール出版社から本を出しているほか、ラジオたんぱ(現日経ラジオ社 ラジオNIKKEI)でレギュラー番組を持っていた。 両国梶之助 両国 梶之助(りょうごく かじのすけ、1962年7月30日 - )は、長崎県長崎市出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は小林秀昭。最高位は東小結(1990年5月場所)。2005年現在は、年寄・13代境川。 日本大学から出羽海部屋に入門。1985年3月場所、大学時代からのライバル栃乃和歌清隆 栃乃和歌(元関脇・現春日野親方)と共に幕下付出で初土俵を踏んだ。1986年3月場所に十両に昇進し、1987年3月場所に新入幕を果たした。同年7月場所では新小結となり、大関候補として期待された。しかし、小結から脱却することが出来ず幕内中位に甘んじていた。 1992年7月場所中に腰を痛め、10日目から途中休場。以降思うような相撲が取れなくなり同年11月場所には十両、1993年1月場所には幕下に陥落した。その場所前に現役を引退し、年寄・中立を襲名。 両国秀昭 『両国梶之助』より : 両国 梶之助(りょうごく かじのすけ、1962年7月30日 - )は、長崎県長崎市出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は小林秀昭。最高位は東小結(1990年5月場所)。2005年現在は、年寄・13代境川。 日本大学から出羽海部屋に入門。1985年3月場所、大学時代からのライバル栃乃和歌清隆 栃乃和歌(元関脇・現春日野親方)と共に幕下付出で初土俵を踏んだ。1986年3月場所に十両に昇進し、1987年3月場所に新入幕を果たした。同年7月場所では新小結となり、大関候補として期待された。しかし、小結から脱却することが出来ず幕内中位に甘んじていた。 1992年7月場所中に腰を痛め、10日目から途中休場。以降思うような相撲が取れなくなり同年11月場所には十両、1993年1月場所には幕下に陥落した。その場所前に現役を引退し、年寄・中立を襲名。 両国花錦闘士 『岡野玲子』より : 岡野 玲子(おかの れいこ、1960年6月24日 - )は、日本の漫画家。茨城県古河市出身。 代表作に『ファンシィダンス』、『陰陽師』など。夫はヴィジュアリスト(映像作家)の手塚眞。舅は同じく漫画家の故手塚治虫。 1982年、「プチフラワー」掲載の『エスタープリーズ』でデビュー。 1989年、『ファンシイダンス』で第34回小学館漫画賞を受賞。 2001年6月、第5回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞(『陰陽師』) エスタープリーズ (1982年、プチフラワー) 妙技の報酬 (1983年、プチフラワー) 消え去りしもの~Missing Link~ (1984年 - 1985年、グレープフルーツ) ディアーヌ・ド・ロゼの陰謀 (1984年 - 1987年、グレープフルーツ) 両国勇治郎 『両國勇治郎』より : 両國 勇治郎(りょうごく ゆうじろう、1892年3月18日 - 1960年8月10日)は、大相撲の力士。最高位は関脇。幕内でこの四股名を名乗ったのは1場所だけでありその後はずっと梶之助だが両國梶之助は他にも複数いるので勇治郎のほうが通りがよい。 明治25年3月18日秋田県に生まれる。本名西村(後に伊藤)勇治郎。 国技館が開館した明治42年6月初土俵。出羽海部屋に所属した。 新入幕で幕内最高優勝、それも無敗でというのは誰も考えはしないだろう、それをやってのけたのが彼である。大正3年5月場所9勝1休、1休はこの日の相手寒玉子爲治郎 寒玉子の休場(当時は片方休めば相手も休み扱い)によるものであり現在なら不戦勝である。当時はこういう状況を「土つかず」と表現した。「勝ち放し」とよばれた全勝扱いにはならないが、それと同等とみてよいだろう。優勝しそうな力士は上位と当たらせるようになった現在では新入幕優勝などもう見ることはできないだろう。大正4年1月より四股名の下を梶之助と改める。この場所7勝2敗1分で翌場所関脇、その後も平幕上位から三役で活躍した。優勝旗手も2回つとめている。大正13年1月引退。 両国ジャンクション 両国ジャンクション(りょうごくジャンクション)は、東京都墨田区にある首都高速道路のジャンクションターミナル ジャンクションである。 :首都高速道路6号向島線 6号向島線江戸橋ジャンクション方面⇔首都高速道路7号小松川線 7号小松川線 :箱崎ジャンクション(箱崎出入口 (東京都) 箱崎出入口併設) - 両国ジャンクション - 駒形出入口 :両国ジャンクション - 錦糸町出入口 合流により各路線の上りは1車線ずつに絞られるためほぼ常時混雑している。 また、6号向島線堀切ジャンクション方面⇔7号小松川線は当ジャンクションで連絡していないため、箱崎出入口のロータリーを使う。 日本のインターチェンジ り ようこく | ||
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